カテゴリー別アーカイブ: 移住

☆移住者の声 佐藤輝彦さん、久美子さん(串間市市木へ移住)

<移住のきっかけ>

(久美子さん)以前は東京や葉山に住んでいましたが、元々自然の豊かな田舎に住みたい気持ちがあり、震災を機に「いつなにが起こるかわからない」と感じた上で「今この瞬間に自分が何がしたいのか」という気持ちと真剣に向き合うようになり、移住を考えました。関東にいる頃から自分が食べるくらいの野菜やハーブが作れるようになったらどんなに食が豊かになるだろうと思っていたので、ここ市木には私達がチャレンジしたい事に対しての受け皿、その環境が揃っていると感じたのです。現在は猫4匹と楽しく暮らしています。

(彦さん)林業に興味があり、林業が盛んな高知や宮崎を下見し、ゲストハウスをまわるうち「串間市の市木」は良い所だよ、という話を良く耳にしました。神奈川に住んでいた時は、朝の8時から夜の10時迄働く日々が続き、人生の中で「本当に自分はなにがしたいのか?」強く考えるようになりました。そんな中、海もあり、山もある市木に林業の会社を発見。面接の時に初めて市木に来て、国道沿いから見える風景に2人で感動し、移住を決めました。

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<移住後の生活>

(輝彦さん)住む家も見つかり、林業も始めました。移住後は、「自分に何が向いていて、何が向いていないか」を試される毎日で、色々な暮らしの物事に挑戦出来るので面白いです。例えば薪風呂を湧かしたり。生活インフラが整っている都会の暮らしから離れ、生きる力がつきました。FacebookやTwitterなどのSNSやLCC(格安航空会社)が台頭して来ている中で、都会との物理的・心理的距離をあまり感じなくなりました。

(久美子さん)葉山にいる頃から「ponchice/ポンチセ(アイヌ語で小さな家という意味)」という屋号でケータリング活動をしていました。こちらにきてしばらくは休止しておりましたが、2013年3月、ヴィーガンマフィン・コーヒーをメインに活動を再開。ささやかだけど生活を丁寧に大切にする気持ちを伝えたくて、何より体に気持ちいい環境に優しいことを伝えたくて。人が大好きな私たちなので販売を通していろんな人と交流し、繋がることを大事に考え、今の出店という形式で活動しています。

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<移住後に感じた、宮崎の良い所>

(輝彦さん)海も山もあって自然が豊かな所です。陽気もそうですが人もとてもあたたかい。子供達も進んで挨拶をしてくれます。これは東京ではありえなかった事で、祖父母世代ともこんなに触れ合う機会はありませんでした。地元の方はよく笑い、健康体で、人生を楽しんでるように思います。横の繋がりを大切にし、今を思いっきり楽しむ。

市木に住む人たちは価値観が似ているように思いました。移住後の苦労話 (輝彦さん)例えば蛇口をひねってもお湯が出なかったり、今までスイッチ1つで出来ていた事が、薪を燃やさないといけなかったりする中で、大変だと感じる事はありますが、それを苦労だと感じた事はありません。薪風呂だからこその良さもありますし、当たり前が当たり前では無いという事に気がつけました。自分の好きなように、自分の生活をクリエイトしようと思えばとことん出来ます。

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移住後の苦労話

(久美子さん)実は移住開始日に始めて住む家と対面しました。当初は抜けそうな床やボットン便所にどうしても慣れず公衆トイレに通ってたほどでしたが(笑)それもすぐに慣れ今は不便なのを楽しんでいます。ここでの暮らしは余計な雑音がありません。自然のリズムで暮らす生活です。ただ逆にいうと外との繋がりが希薄になりがちな面を持っています。私にとって文化に触れることもまた必要不可欠要素で、大好きな本屋さんに1時間以上かけて行ったり、人の集まる都心にでて色んな事に触れる機会をあえて持つようにしています。そういう絶妙なバランスがとても大事に思うのです。

<移住希望者へのアドバイス>

(輝彦さん、久美子さん)移住の目的をはっきり持つ事が大事だと思います。色々な物事に挑戦できる環境だと思うので、シンプルに自分の心に「あなたの本当にやりたい事はなんですか?」と問いかけてみてください。それに合う環境の所に住めば良いと思います。スローライフをイメージする方も多いですが、いざ生活していみると、思っていた事と違う事も沢山出てくると思います。形だけのスローライフではなくて、決意を決めた上で住むのならここは楽園だと思います。人生はまだ旅の途中なので、この先になにがあるか分かりませんが、身の丈にあった自分たちらしい生活スタイルを追求したい人にこそぜひ、来て欲しいと思います。宮崎でしたら凍え死ぬ事もありませんし、人も気候もあったかいので、大丈夫です。なんとかなります。

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☆移住者の声 渡邊健太さん(串間市市木へ移住)

<移住のきっかけ>

ぼくは、3.11の震災をきっかけに、家族全員で千葉から串間に移住しました。千葉の家は築180年の立派な家で、半年かけてコツコツと直していたんです。しかし、完成後わずか1ヶ月も経たないうちに震災が起こりました。原発事故に対する知識があったので、大急ぎで軽バンに荷物を積めるだけ積んで、当時、1歳になったばかりの長男と家族3人でとにかく西に逃げたのです。友人のつてを辿って、ところどころで滞在しましたが、何かしっくりくるものがありません。避難の旅は、とうとう宮崎まで続き、友人を頼り、串間市の市木にたどり着きました。そこで、当時NPO法人Rainbow Tree(以下、レインボーツリー)の代表だった久志尚太郎さん一家と知り合い、「そういうことなら」とNPOに雇用していただいて、なんとか串間に住み始めました。

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<移住後の生活>

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当時のレインボーツリーは立ち上げたばかりで、仕事という仕事がありませんでした。話し合って、せっかくやるなら地域に根ざしたものがいい、という意見から串間の歴史を調べていくと、元来塩作りの文化があったことを知ったのです。話を聞いていくと、昔から使っていた塩釜が今でも残っているではありませんか。その塩釜を借り、昔から伝わる串間の伝統技法に則って、塩作りを復活させました。料理の旨味を引き立てる、自然海塩釜炊き塩です。その塩は、レインボーツリーの事業として柱となり、ぼくの大切な生業となりました。

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そのほか、自用の畑と田んぼ(手刈り、無農、足踏み脱!)、炭火ブンピザ屋、田暮らし体教室、いのちをいただくの解体ワクショップ、あとは男手の足りないところに出して、一日お父さんとしての役割を担う『シェアお父さん』など、日の暮らしそのものが仕事になるよう、暮らしと仕事の境界を行ったり来たりしています。経験み重なって、お米、、味噌が自できるようになると、日々の出り、外にお金を稼ぎに出ることの意味と価値わってきます。できれば、そういった自的な暮らし方、生き方をわかりやすく共有していくことが、大量消ではない世の中への大切な架けであるように思うのです。 

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<宮崎に住んでわかった、良い所

  移住後の苦労話>

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移住して4年目、この暮らし方は、たくさんの方に興味を持ってもらい、様々な年齢層の方が串間やぼくのところに遊びに来てくれました。ぼくたちにとっては、日々の生活の一部として当たり前のことが、ワークショップとなりました。今や「ぼくの生活=職業」になっているのです。これまではこういった生き方は少数派とされてきました。しかし、環境に負荷をかけない生き方が、社会の中で重要な意味を持つ日はそう遠くないと思うのです。ぼくは、ぼくの真似をしてくれる人が増えてくれたらうれしいのです。

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ぼくの住む串市の市木地区は、生きる力に溢れる所だと思います。海があり山があり、自然かな境が、全国的にもまれたロケションであることは間違いありません。食もかで旅人や外国人光客も多く、面白い人と出会えることが多いのも魅力のひとつです。移住して4年になりますが、ときには「移住者」というレッテルで、偏の目でられる事もあります。しかし、を合わせる近所のおじちゃんおばちゃんは、切に受け入れてくれるようになりました。そうやってだんだんと関係性ができてきたので、食べ物のおすそわけをいただいたり、力仕事の依をいただいたりしています。今では地元のお祭りにも混ぜていただいて、子舞を踊るようになりました。

   ぼくの家族は、在3人の息子(4才、2才、0才)がいます。移住後、まだ身の回りが落ち着かない状の中で、妻の妊娠、出が立てけにありました。近くにがいるわけでもなかったので、子育てはやっぱり大でした。しかし、ぼくの住む市木地区で、保育に通う子供たちの80%は移住者です。市木の保育では、なんと一家庭に3人の子供がいる家庭が主流という、子だくさんの地域でもあります。なので、子育てにしては、友人家族や、移住者家族たちとのつながりで、助かってる部分も大いにあります。

<移住を検討している方へのアドバイス>

image18 田舎暮らしを「スローライフ」と呼ぶことがありますが、ぼくの場合、スローな事は何ひとつありません。移住を考えている方は、「現在の生活に足りないもの」と、「田舎に何を求めているのか」とを、自問自答をして、よく考える必要を感じます。田舎で、田舎の文化でやっていくには、「自分で生きるんだ」というはっきりした自覚と覚悟が必要だと、ぼくは思います。

スイッチ1つでお湯が出る、なんて事もまずありません。今までやっていなかった事を、人のせいにせずに全部自分でやっていく、というのはとてつもない覚悟が必要なのです。

また、田舎に移住してすぐは、右も左もわからない状況かもしれません。先の話とは矛盾するようですが、全てを自分たちでやろうとせず、困ったら人に頼る事も、ときには必要です。もし、どんどん自分たちの弱い所をみせる強さを持てるなら、そしてそれを地元の方に相談できるのであれば、地元の方は喜んでくれることもあるし協力してくださることも多々あります。

「まずは自分でやってみる精神」と「弱さをさらけ出す強さ」さえあれば、田舎暮らしほど豊かな遊びはありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆移住者の声 桜井 求さん(串間市市木へ移住)

<移住のきっかけ>

東京生まれ東京育ちです。ずっと東京で働いていましたが、奥さんの地元が宮崎県串間市の市木という、人口1,000人の限界集落の出身でした。義父が南九 州最大規模のイノシシ猟師グループの代表をしていて、メンバーが高齢な事に加え、後継者不足の問題もあり、もともと海が好きで、釣りやアウトドア活動が趣 味なので、自然に触れながら仕事をしたい、という自分のライフスタイルに合っていると思い、移住を決意しました。

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<移住後の生活>

 移住後は農機具屋で働いていました。

ト ラクターを直したり、コンバインを売ったりしています。機械に関しては、若い頃からバイクの整備などもやっていたので機械いじりは得意です。もともと農業 はしていなかったのですが、母方の実家が農業をしていた事もあったのですぐ馴染む事ができました。現在は串間市のNPO法人Rainbow Treeの代表理事として活動する傍ら、今や希少な日本ミツバチの育成、蜂蜜の採取等の活動を通し、自然環境保護の取組を行っています。

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<移住後にわかった、宮崎の良い所>

ま ず、食べ物に関して不安が無い事です。東京では、食品を買うには必ずスーパーを利用していたりしていましたが、何処で栽培されて、収穫されたのかなど、食 に関して不安な面も多々ありましたが、宮崎に移住して来てからは『食材をスーパーで買う』という行為をあまりしなくてよくなりました。

 宮崎に住んでいると、自給自足といったような、自分たちでお米や野菜を作っている人がたくさんいます。野菜や魚など近所の方から分けてもらったり、猟師が狩ってきたものだったり、食べ物の出所が目に見えるような環境にあり、安心できるのでそこが良い所だと思います。

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<移住後の苦労話>

移住後は南九州最大規模のイノシシ猟師クループの後継者になるべく、猟に取り組んできましたが、まず方言という言葉の壁がありました。グループメンバーはベテラン揃いで、指示のレベルが高く、最初はついてゆくのも大変でした。

 並行して仕事も行っていましたが、宮崎は東京のように仕事がたくさんあり、自由に選べるような状況ではなく、限られた職種の中から仕事を探さなければならない状況がありました。image4

<移住を検討中の方へのアドバイス>

宮崎は豊かさに溢れていると思います。金銭的な豊かさではなく、食べる、寝る、遊ぶという行為を都会の娯楽ではなくても楽しめるような人にとっての田舎くらしは特におすすめです。自然に触れる機会がたくさんあります。

 宮崎県の限界集落ですと、人口も少ないので良くも悪くも、個人個人の関わり方、距離が濃くなってきますが、そこがまた魅力的です。

 地区の行事(お祭りや消防団の活動)にも積極的に参加する事も必要だと思います。

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☆移住者の声 小川 大輔さん(宮崎市に移住)

<移住の経緯>

3.11の震災から1年後に家族で移住しました。震災後しばらく妻と子供は指宿(鹿児島)にある妻の祖母の元に避難生活をしていて、その中で『なぜ東京での生活にこだわる必要があるのか?』と考えました。

SNS で 移住情報の収拾を行う中で、偶然にも都内で同じ保育園に子供を通わせていて宮崎に移住を決めた方がいて、移住先の下見に来た際に『うみがめのた まご』という震災後に宮崎へ移住した母親達が作った交流会に声をかけて頂きました。同じ境遇と気持ちを共有出来る空間があることも、宮崎に移住を 決めた1つの理由でした。身寄りのない土地に、一人でも移住先に知り合いがいるという状況はとても心強かったです。

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私は東京の生まれ育ちで、『良い会社で高い年収を得る事が人生の勝者だ』という考えを持っていましたが、宮崎の人々が収入云々でなく皆楽しそうに生活している様子を見て、お金じゃない価値観に気づきました。

移住先は九州の市街地を中心に探していましたが、自然がたくさんあって子育てにはとても良い環境だし、やりたかったサーフィンも出来る宮崎が良いと思い移住を決めました。

元々大企業に勤めていたので、社内の人事による異動でもよかったのですが、これからの時代を生き抜くために必要な3つの経験を積みたいと思い、転職することにしました。

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<移住後の生活>

3.11の震災を経験してから、これまでお金で解決してきたことを、なるべく自分たちで賄うような生活がしたいと考えました。仕事をしながらそういった知識を蓄えるべく、地域活動家のブログを見たり、独立型のソーラーパネルを作成して電力を自給したり、ロケットストーブを作成したり、暮らしの自給力を高めるような生活をしています。いつ何が起こるかわからない状況で、お金や大きな都市システムに依存して都心に住み続けるか、仕事での収入は減ったとしても、生活する上での必要経費は少なく、楽しみながら暮らす地方のライフスタイルのどちらに価値を感じるかだと思います。

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<移住してわかった、宮崎の良い所>

海も山も近くにありますし、アクティビティがとても豊富だと感じます。地元の方は『宮崎には何もない』とよく言いますが、人工物の多い東京で育った私からすると宮崎の自然の豊かさは資産であり、財産です。

例えば野菜等の食べ物を自給できる環境は、東京では滅多にありません。自給する事で、お金が無い事に対しての恐怖心がだいぶ減りました。ス トレスを溜めながら仕事をした対価としてお金を得て、逆にストレスを発散する為にお金を使う様な生活をしていたら、何の為に働いているのか分からなくなっ てきますよね。だから、年収ベースではなく、自由に使えるお金(手取りから家賃・光熱費などを除いた金額)と時間で考えるようになりました。そのほ うが楽しいし健康的ですし、食物が自分で自給出来るなら、その分支出も減ります。加えて家賃も都会に比べて安く、年収が低くなったとしても自由に 使えるお金があまり変わらなければ、大して問題無いと考えるようになりました。また、時間は有限ですから、自らやりたい事をしながら稼いだお金の 方が、尚更良いと思います。宮崎に来て『自分のやりたい事をやっている人が多いな』と感じます。地方と言ってもITの発達で、場所はどこでもあまり関係なくなってきています。

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<移住後の苦労話>

はじめは宮崎の人たちの生活スタイルを掴む事が大変でした。移住するにあたって、みんながどのように通勤して、どのような1日の使い方をしているのかが分からず、少し困りました。たとえば、宮崎で車通勤している人は、飲み会の帰りは運転代行を利用しますが、東京にはその文化は無く、タクシーを利用していました。また昼休み時間に一度帰宅して自転車に乗り換えてきたり等、最初は宮崎のライフスタイルに馴染む事に苦労しました。

<移住を検討中の方へのアドバイス>

仕 事の年収ベースを生活水準とするのではなく、生活する上での必要経費を除いた自由に使えるお金と、やりたいことに使える時間がどの程度あるかを基準に して、ライフスタイルを考えるのも良いと思います。宮崎は満員電車での通勤ストレスもなく、通勤時間も短いです。海も山もあるし、身近に食べ物も沢山あ るし、自分たちで食べ物を自給する事も可能です。特に大企業等に勤めていると、個人の価値が薄まると感じる事もありますが、関東の企業で学んだノウハウを地域で発揮出来るようなチャンスは、宮崎なら多分にあると思います。逆に地方にはまた違った能力を持っているけど、発揮できていない人はたくさんいるので、お互いが持つ力を合わせれば、大きな価値を作れると考えています。

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震災後、仕事や暮らしに対する価値観は変わって来ていますし、SNSの浸透により、距離に関係なく誰とでもコミュニケーションがいつでもどこでも取れるようになってきました。「年収」「やりがい」「家族との時間」「趣味」など、何が自分にとって一番重要な価値か?を一度見つめ直してみると、良いかもしれません。

食べ物が自給できれば、「お金」に対する恐怖心もだいぶ和らぎます。例えばビジネスを展開したい人は、東京で起業する事も有りですが、も し失敗してお金が無くても食べ物が自給できる環境であれば、失敗を恐れず思いっきり挑戦できると思います。そういったポテンシャルを持っているのが 宮崎県だと思います。

震災後、仕事や暮らしに対する価値観は変わって来ていますし、SNSの浸透により、距離に関係なく誰とでもコミュニケーションがいつでもどこでも取れるようになってきました。「年収」「やりがい」「家族との時間」「趣味」など、何が自分にとって一番重要な価値か?を一度見つめ直してみると、良いかもしれません。

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【県南ツアー3日目】宮崎アドベンチャークルーズ〜都城市周辺〜

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宮崎アドベンチャークルーズ最終日である2月10日は、宮崎県は朝からあいにくの雨模様で。。午前7時30分に宿泊地の「蜂の巣コテージ」を出発し、車内で朝食をとりながら都城市へと向かいました!皆さん早朝にも関わらず元気です!!

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1時間程霧島神宮とその周辺を散策した後は、都城市にある「キッチンガーデン夢見が丘」へと向かいました。

 

到着後は「お食事班」「お土産をみる班「乗馬班」の3班に分かれて行動しました^^

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食事班は「できたてキッチン夢見館(ゆめみかん)」へ。

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都城市周辺ならではの食材を使った、こだわり料理です!

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お土産をみる班は「食の楽園 夢市場」へ。

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夢見館では、なんと屋内で「セグウェイ」の体験が出来るんです^^

 

 

 

 

 

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乗馬班は、「霧島サウスヒル・スティーブル牧場」へと向かいました。

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今回、乗馬体験のインストラクターをしてくれたのが、「スティーブ熊本」さんです!

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荒天ながらも快くご対応頂き、参加者の皆さんにもとても満足して頂けました^^

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参加者の皆さんそれぞれが、「食」、「お土産」「乗馬体験」を楽しんだ後に、全員で写真撮影を行いました!笑顔が印象的ですね^^

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楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、後は羽田空港へ向かうのみとなりました。

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参加者同士、スタッフ同士も仲良くなり、

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空港内でたくさんの写真を撮りました^^

 

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今回は、前回実施された「宮崎アウトドアクルーズ」と同様、地域団体との繋がりや、参加者同士の繋がりを構築する事が出来た旅であったと思います。

10月、2月に開催した「宮崎アウトドアクルーズ」「宮崎アドベンチャークルーズ」の両方のツアーを通じて、関東近辺に在住のみなさんが少しでも、宮崎の事を好きになってくれたら嬉しいです^^